田舎と都会 2021/12/11
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人口減少、高齢化が急激に進むここ宍粟市。
その一番の理由は、仕事がないから。
学力社会になり、大学に進学し、一度田舎を出た人は多くの場合帰ってこない。
そこには、やはり小さい時からの構図がある。
田舎に住む人は基本的に自身が住む所の肯定感が低い。
肯定感の低い親は子供に、
便利が悪く仕事もないこんな田舎だから出来るだけ勉強して都会へ出て立派な人間になりなさいと言う。
確かに私も若い頃は田舎に住んでいる劣等感的なものがあったように思う。
世間一般的にも、都会が優れていて、田舎が低く見られている構図があったのではないだろうか?
しかし、よくよく考えてみると本当にそうだろうか?
近年頻発する自然災害やこのコロナ禍、何か事が起きればコンビニやスーパーの棚からは商品が消え、
電気が来ないとトイレの水さえ流せない程の脆弱さが都会にはあり、そのような光景を頻繁にみる機会が多くなっている。
ここ近年の出来事で、これまで、マトリックスの世界に閉じ込められ夢を見せられていた事に気がついた人が増えてきた。
私もその一人で、作り上げられてきた幻想に気づくことが出来た。
今後日本は、それに気がついた人と、それに全く気がつかない人の二極化が進むと思う。
その判断基準がコロナワクチンとマスクで、それは、洗脳化されたことのバローメーターだ。
都会は消費。田舎は生産。
すなわち、依存と自立。
都会は全てのものに依存して人々は生きている。
しかし田舎には、食料を作り出せる田んぼがあり、
エネルギーを作り出せる森林がある。
その観点から見てみれば田舎は非常に優れているのは明白だ。
さて、昨日は一日中、現場回り。
朝から丹波市で打ち合わせ。
その後はうだつの上がる家へ。
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土壁は乾き、捨て張りも終えたので、戸締まりが効くように窓の工事に取り掛かる。
うだつの上がる家のあとは、サイディングの補修現場へ。
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板も張り終え高級感が増した玄関。
サイディングを張る選択肢はないが、板張りは正解だった。
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