宍粟 2021/1/3
難読地名西日本NO.1の宍粟市。
郵便物では宍栗の間違いが多い。稀に穴栗の間違いもあり、どうも間が抜けて笑える。
そもそもなぜこの漢字が使われたのか?
元来の字は宍禾(シサワ)。
宍粟の「宍」の字は鹿・猪の総称。
宍粟の「粟」の字は穀物のアワ。(禾も粟と同じ意)
シシが多くアワを沢山作っているところの意味があるようだ。
そう考えると、今も昔も変わっていない。
播磨国風土記では元々宍粟市は、伊和の大神が伊和君氏を従え、
宍粟を中心に播磨国を支配していて、
そこへ、新羅王子の天日槍(アメノヒボコ)(渡来神)が渡来し宍粟で勢力を広げる。
伊和の大神と天日槍は播磨を舞台に壮絶な国占めの争いを繰り広げ、伊和の大神が勝利し、
負けた天日槍は但馬に追いやられ出石に住んだという。
天日槍は新羅から鉄の文化を持ち込み地方の豪族を従えた神だとされていて、
宍粟市にたたらの発祥の地とされるのもその繋がりがあるのかと勝手に思っている。
伊和の大神の妻は許乃波奈佐久夜売命(コノハナサクヤヒメ)で、一宮町には閏賀という地名があり、
コノハナサクヤヒメが美しかったのでこの地名になったという。
コノハナサクヤヒメは閏賀稲荷神社の祭神。
葦原志拳乎命(アシハラノシコオノミコト)=伊和の大神
伊和の大神=大国主命(オオクニヌシノミコト)の説もあるという。
自分が住んでいるところの歴史を知るのも面白く、深掘りができたら、
地元への愛着ももっと湧くんだろうな。
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