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火のある暮らし① 2024・11・29

寒さが深まるにつれ、山の色も変わりゆき、そろそろ冬の山へと、
景色が変わっていく。

昨日伺った現場は海抜400m以上。
山の天気は変わりやすく、平地では晴れていても山の上は雨やみぞれだ。
ここ宍粟市は兵庫県南西部に位置するところだが、
冬場は北部の天気だ。
「弁当忘れても蓑忘れるな」というくらい雨が多いので、
このことを父親によく言われていた記憶がある。

さて、昨日は竈門の煙突工事へ。
良い天気の中伺った工事だが、途中、先述した雨やみぞれにあい往生したが、
なんとか完成した。
施主支給の煙突だったので、不慣れではあったがなんとかうまく納まった。

施主さんからすれば、数年間の待ち望んだ工事だったらしく、
施工後は大喜びされていた。
こういう姿を見れば、達成感と充実感に包まれ職人としては最高に幸せな瞬間である。



竈門といえば、現代人が使うことがなくなった道具の一つだが、
我が社のお客さんは、竈門や火を使う道具の使い手が実に多い。

スイッチポンでなんでもできる便利な世の中になったが、
その反面で、それを求める人が増えているのはなぜなのだろうか?

囲炉裏や竈門は時代の一時期から姿を消した。
実は、それは、近代化政策とGHQによる政策も相まって時代から姿を消していった。
これまで囲炉裏で使っていた、羽釜や両手鍋はフライパンに姿を変えていった。

さらに、石油ストーブやガスコンロ、電気調理器具が効率的で衛生的と推奨され、
囲炉裏は時代遅れとされた。一家団欒の場だったはずの囲炉裏がダイニングテーブルへと姿を変えていったのである。

竈門での調理は、面倒だと思われがちだが、
とても小さな火で煮炊きができるので燃料を食わない。
あと、化学的には実証はされていないが、
火で暖めたお湯や料理を体内に取り込むことで体にも良い影響を与えるものと考えている。
あと、もう一つは、やはり、化石燃料や電気に依存しないことだ。
竈門は大きな薪は必要ではなく、木の枝だけでも火が作れるので、
山に入り枝を拾うだけでエネルギーが調達できるのである。

先述した時代に消えていった囲炉裏だが、優れたコミュニケーションの装置でもある。
炉の中が調理場であり、炉端が食事のテーブルでもある。
人は火を見ることで、時に饒舌になり、時に謙虚にする。
囲炉裏は人が集まる最小の集合体だ。
支配者層は、人々が集まることを恐れる。
囲炉裏のように輪になり、心を開け放ちコミュニケーションする人に対して目を向ける生活から、
TVを導入しそれに釘付けにさせ、これまで出来上がっていた「輪」を時間をかけて切り崩していった。

さて、続きをどんどんと書きたいところだが、時間が足りない。
なので、続きは明日に書くことにする。

では今日も良い一日をお過ごしください。


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