1. HOME
  2. ブログ
  3. 幸 2025・1・17

幸 2025・1・17

金曜日はパンを仕込む日。数日ぶりのパンの仕込みだ。
今日はEngrainとEpeautreの種を仕込んだ。
今回は、EngrainパンとEpeautreのパン、フォカッチャを焼こう。

さて、最近気になっていることは、
私の嫁さんのお父さんの命が消えかけていること。

お父さんは千葉在住だったが、去年リンパ腫が見つかり、現在入院中だ。

去年、ヨーロッパから帰国後、体調を崩したお父さんを食事で改善しようとここ宍粟市に療養の為呼び寄せた。
お父さんは、今から25年前ほどに離婚していて一人暮らしが長く、
食事といえばコンビニやスーパーのお惣菜や弁当をほぼ毎日食べていたらしい。

コンビニやスーパーの弁当といえば、そう、もちろん添加物にまみれている。
ご存知だろうか?
食品添加物は味覚に直接的な影響を与える。
亜硝酸や防腐剤は摂取し続けると味覚を感じる舌の機能が鈍くなることがわかっている。
後、甘味料の摂取が増えると、自然な甘みや微妙な味が感じにくくなるようだ。

後、食品添加物で怖いのが、遺伝子に影響を与えるところだ。
亜硝酸ナトリウムや着色料を摂取するとDNAに損傷をひき起し、遺伝子変異が起こる。
酸化ストレスが細胞にダメージを与えDNA修復機能に影響を与える。
ちなみに酸化ストレスとは、抗酸化防御機能が追いつかなくなった状態を言うそうだ。

食品添加物は言い出せばキリが無いほど、ヤバい食品なのだ。
皆さんも添加物には注意しよう。

そのヤバい食品添加物を取り続けたお父さんは、
私の妻の野菜中心で主に塩と醤油だけの味付けだけでは、そのクラッシュした舌では全く満足できず、
結局、妻の食事療法は受け入れず、私たちの努力も虚しく、スーパーの弁当に後戻りしてしまった。
その状態で宍粟市に居る意味がなくなったので、千葉に帰ったのは言うまでもない。

その後、体はどんどん悪化し、リンパ腫が見つかった。
東京の病院で入院していたが、私たちが、抗がん剤の副作用に苦しむのはお父さんがかわいそうだと、
リンパ腫の抗がん剤治療はしないことを選択した。

抗がん剤治療をしないと判断したその時、病院は手のひらを返したかのように、
強制的に病院を追い出し、こちらの都合もお構いなしに日時を設定され強制的に移送されてきた。
東京の有名な大学病院だったが、病院の患者ではなく経営第一の考えを目の当たりにした出来事だった。

リンパ腫の治療をしないと決めたお父さんだが、今のところ意識はなく、ヤバい状態が続いている。
治療しないので、年末に受け入れてくれた日赤病院もいつまでもいることが出来ず、
来週にはまた別の病院へと移送される手筈が整っている。
しかし、移送されるまで命が持つかどうかは神のみぞ知るところだ。

私たちは、そうなってしまったお父さんを、特にかわいそうだとは思っていなくて、
私たちが手を差し伸べたが、自分がそれを選び、そちら側に行ってしまった。

幸せというものは、人が決めるものではない。
自分が幸せだと思っていることでも、人からすればそうでも無いこともある。
人がどうこう言うのは関係なく、その人が幸せだと思えば幸せなのだ。

なので、お父さんの場合、自分の思考が作り出した現実だった。
自分のしたいようにした人生だったので、それはそれで幸せだったのでは無いだろうか?

戦後、アメリカ的な生活にシフトするため、生活改善運動が行われた。
囲炉裏や竈門が日本の家から消え、囲炉裏や竈門が消えると同時に、両手鍋がフライパンに変わっていった。
両手鍋からフライパンに変わると同時に植物油が普及し、それ以降、揚げ物が日本の食卓の主役になってしまった。
一日の食事のメインは夕食でDinnerとされ、Dinnerのメインディッシュは揚げ物が一般的になった。
植物油中心の日本の食事は病気を一変させた。
植物油は体内に入ると腸からリンパを通して運ばれる。

植物油からリンパ腫になる影響はないとされるが、
私は、大いに関係していると思っている。

実際に、スーパーの揚げ物弁当を25年間食べ続けたお父さんはまだ、68歳。
まだまだ若いが、ヤバい食品を食べ続けた末路はリンパ腫だった。
それはそれで楽しい人生だったと思うが、
私はそうはなりたくないので、健康的な食事を続けていき、
心も体も健全に過ごしたいと思う今日この頃だ。

さて、ご飯を食べて現場に向かおう。
今日も現場では解体工事が待ち受けている。

では、今日も今日しかない今日を楽しく過ごそう。















  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


関連記事