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我利我利の現代社会 2021/11/22

週の始まり、ここのところ良い天気がつづいていたが、
ここ宍粟市は久々の雨模様。

さて、昨日のブログの続き。
3S政策が功を奏し、洗脳が続く現代日本。
究極の洗脳社会とは、『適度な自由』を与え、お金という果ての無いニンジンをぶら下げ、モノに溢れ、自分さえ良ければいいという、「我利我利」の個人主義を植えつければ完成だと言われている。

皆さん、仏教用語の「我利我利」とはご存じだろうか?
「昔、ある所に、地獄と極楽の見学に出掛けた男がいました。最初に、地獄へ行ってみると、そこはちょうど昼食の時間でした。食卓の両側には、罪人たちが、ずらりと並んでいます。

『地獄のことだから、きっと粗末な食事に違いない」と思ってテーブルの上を見ると、なんと、豪華な料理が山盛りにならんでいます。
それなのに、罪人たちは、皆、ガリガリにやせこけている。「おかしいぞ」と思って、よく見ると、彼らの手には非常に長い箸が握られていました。恐らく1メートル以上もある長い箸でした。

罪人たちは、その長い箸を必死に動かして、ご馳走を自分の口へ入れようとするが、とても入りません。イライラして、怒りだす者もいる。それどころか、隣の人が箸でつまんだ料理を奪おうとして、醜い争いが始まったのです。』

これは現代でも言えることで、例えば、災害時、スーパーやコンビニに他人を差し置き、我先にと必要な物を買い占めるのとよく似ていないだろうか?

我利我利の反意語として「自利利他」という言葉がある。

『次に、男は、極楽へ向かいました。夕食の時間らしく、極楽に往生した人たちが、食卓に仲良く座っていた。もちろん、料理は山海の珍味です。「極楽の人は、さすがに皆、ふくよかで、肌もつややかだな」と思いながら、ふと箸に目をやると。それは地獄と同じように1メートル以上もあるのです。
「いったい、地獄と極楽は、どこが違うのだろうか?」と疑問に思いながら、夕食が始まるのをじっと見ていると、その謎が解けました。極楽の住人は、長い箸でご馳走をはさむと、
「どうぞ」と言って、自分の向こう側の人に食べさせ始めたのです。にっこりほほ笑む相手は、「ありがとうございました。今度は、お返ししますよ。あなたは、何がお好きですか」と、自分にも食べさせてくれました。男は、
「なるほど、極楽へ行っている人は心掛けが違うわい」と言って感心したという話です。』

『自利とは、自らの幸せ。利他とは、相手の幸せ。
幸せになりたければ、利他に心がけよ。
お釈迦様は、幸せになりたければ、相手を思いやりなさい。相手の幸せを思いやってかけた言葉や行動は、必ず、あなた自身に思いやりとなって返ってきますよと教えられています。これを、自利利他といいます。利とは幸せという意味ですから、相手の幸せを思いやるままが、自分が幸せとなるということです。』

このように我利我利ではなく、自利利他の気持ちをもって皆が生活すれば、
この閉塞感に満ちた現代日本も少しは良くなるのでは?と考えている。

さて、先月、土壁をつけて養生中の「うだつの上がる家」。
いよいよ壁が乾いて次の工程に掛かれるようになった。
年内には床を張り、窓を入れて外部仕舞いをすれば年内の予定は完了だ。
今年も残すところ40日足らず。そろそろラストスパートだ。





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