トロワの幹②
どうしてパン屋に?
2月も終盤。
今シーズンは何度か雪も降りつもり、冬らしい冬だったが、
寒さでいうと、そこまで寒くて寒くて困るような冬ではなかったような。
ようやく、暖かくなり、人の動きが活発になってきたように思える、
さて、パン屋を6月28日にオープンしてから、8ヶ月を迎え、
どうしてパン屋になったのか?と、聞かれるときがよくある。
私といえば、30年ほど大工業を営んでいる。
その30年間の中には、在来工法・ログハウス・ツーバイフォー住宅なども携わってきた経験があるがそれぞれの工法を理解し、日本の風土に見合った家の建て方といえば、
やはり伝統構法による石場建ての家だ。
十数年前から、伝統工法建築に携わることになってから、
建築の本質を調べるうちに、日本の現在の違和感を感じるようになった。
建築を調べ、やはり、別の分野のことを調べると、
医療や教育、食の世界にも、どこか違和感を覚えるようになった。
日本建築が日本らしい建築方法を失いかけた大きな転換点が、歴史の中で二度あったと私は感じている。
一度目は、明治維新。
二度目は、戦後である。
明治維新以降、日本は急速に西洋化の道を歩んだ。
建築の世界にも、西洋の構造理論や建築教育が導入され、
レンガ造や石造、そして「壁」で構造を支えるという思想が入ってきた。
それまでの日本家屋は、
柱を立て、梁を渡し、貫でつなぎ、
水平方向の部材で柔らかく固める構造だった。
揺れを受け流し、木の粘りで持たせる家。
しかし近代化の波の中で、日本建築は“再定義”されていった。
そして戦後。
1950年、建築基準法が制定され、
「壁量」という概念が制度化される。
柱と貫の思想よりも、耐力壁によって持たせる思想が主流となった。
合理性。
数値化。
均一化。
それは国家としては必要な流れだったのだろう。
だが同時に、日本古来の構造思想は、少しずつ表舞台から退いていった。
私はそれが「失われた」とまでは言わない。
ただ、忘れられかけたのだと思っている。
石場建て、土壁、貫構造。
それらは古いのではない。
合理を超えた知恵であり、
自然と共にある構造である。
衣・食・住の「住」の部分は深いところに潜り、やはり、建築の最高峰といえば、
伝統構法「石場建て」ということにも気がつき、それをやり進めている。
そして、「食」の部分では、10数年前の私は、
先づは、水を変え、塩を変え、添加物をやめ、
どんどんと変化して行った。
あと、食事の種類以外にも、摂り方も変えた。
一食にしたり。二食にしたり、断食をしたり色々と試した。
こんなこともしていたので、空腹になっても我慢できないことはなく、
簡単にやり過ごせるようになった。
最近では、朝昼二食はしっかりと食べるが、夕飯は味噌汁やスープだけで済ませている。
なぜなら、夕飯に固形物を胃に入れると、寝てる間に胃腸が動き、
体は休みたいのに、内臓は仕事中のような状態で、深い眠りに入りにくく、自律神経も休みにくいのだ。
そうして私は、約30年間、大工という仕事の中に身を置いてきた。
木と向き合い続ける時間の中で、建築の考え方は静かに変わっていった。
いつしか、「幸せとは何か?」と考えるようになった。
幸せの元は、健康である。
では、健康元はというと、日々の食である。
体は自分が食べたものでできている。
住を掘り、
食を掘り、
身体と向き合い続けたその延長線上に、
突然、「パン」が頭の右斜め上30センチくらい離れたところに降りてきたのである。
次回に続く・・・・・・
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