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トロワの幹③

降りてきたパン

パンは突然降りてきた。頭の45度右斜め上に。

何かをやり始めるのに理由なんていらない。
やりたかったらやる。ただそれだけ。
ある日、頭の右斜め45度に降りてきて、
イメージするとできそうだったので、やり始めただけ。
私の人生は、いつもそうだった。

棟梁に弟子入りしたときも、
独立したときも、
高いハードルだった伝統構法の大工になることも。
会社をつくったときも、
先にイメージがあり、あとから現実が追いついてきた。
なぜできると思えるのか。それは、
衝動だけではなく、積み重ねてきた経験があるからだ。

三十年、木と向き合ってきた。
素材と対話してきた。
手を動かし、失敗し、修正し、また手を動かす。
その反復が、「できる」という感覚を支えている。
だから、パンも同じだった。

ふわっと降りてきた。それを、素直にやっただけ。

儲かるかどうか。
人気が出るかどうか。

そんな計算はしていない。

打算ではない。
ただ、浮かんだ。
イメージできた。
だから、やった。ただそれだけ。

パンといえば、現代では「グルテンが悪い」と言われ、
どこか隅に追いやられている存在でもある。
けれど、頭の右斜め上から降りてきた「パン」は、

その延長線上のパンではない。
私が焼こうとしているのは、大量生産のために改良され、
効率を優先してつくられた小麦のパンではない。
前のブログでも書いたが、私は、自分だけが儲かればよい、
自分だけが良ければよい、という考えでは動いていない。

軸にあるのは、世の中の役に立つかどうか。
本当に体の一部になり得るものか。
時間の中で価値が深まるものか。
自然と循環の中にあるものか。

そこを、自分の頭で整えていった。
そして、行き着いたのが、

原種に近い麦だった。
効率よりも、循環。利益よりも、時間の中で深まる価値。

だから私は、
隅に追いやられているパンではなく、
本来の力を持つパンを焼こうと思った。


一本の樹があるとする。

芯になる太い幹は、私の「想い」だとする。
その太い幹を、言葉にするなら、「世の中をよくすること」だ。
さらにその幹から、枝葉が伸びる。

「枝」を具体的に表すと私の事業である、

建築。
パン。
農業。
セントラルヒーティングの輸入。
と。いうことになる。


さらにその枝の先に、「葉」がつく。
その先の葉の部分がを具体的な行動で表すと、

伝統構法。
石場建て。
土壁。
古代小麦のパン。
石臼製粉。
薪ボイラー。

幹はひとつ。
やっている具体的なことは違っても、
根は同じ場所にある。
幹さえ揺るがなければ、
軸足をしっかりと地につけ、どの方向へでも手を伸ばすことができる。

建築であろうと、

パンであろうと、

農であろうと。

私にとっては、幹から伸びた枝の違いにすぎない。
それは、金槌や鉋がパンを作るミキサーに代わろうが、
幹をしっかりと持っている私にとっては、あまり変わらないのである。


幹を持っている限り、私は迷わない。

では、「パン」と降りてきた衝動は、なぜ今のパン作りへとつながったのか。
ただパンを焼くことが目的ではない。パンを通して、世の中の役に立てるのかどうか。
そこを考えたとき、小麦そのものに目を向けざるを得なかった。

世に『小麦は食べるな』という本がある。
現代小麦の問題点を指摘し、小麦をやめるべきだという内容だ。
私も読んだ。
確かに、現代小麦は大量生産と効率化の中で大きく変化してきた。

グルテンの構造も、遺伝的背景も、昔の小麦とは別物になっている。
だが、その本の中に、ひとつ重要なくだりがある。

アングラン(一粒小麦・Einkorn)

最古の小麦、アングラン(一粒小麦(Einkorn)
現代小麦の染色体数は42本だが、
アングランの染色体数は少なく14本だ。

遺伝的に単純で、人類が最初に手にした穀物。

私はそこに引っかかった。
「小麦をやめる」のではなく、
「どの小麦なのか」ではないか?

パンが降りてきた。と言ったが、それは感覚的に、それに素直に従った。
しかし、ではどんなパンなのかというと、それは普通の小麦ではなかった。

アングラン(一粒小麦・Einkorn)

エポートル(スペルト小麦・Spelt)

アミドニエ(二粒小麦・Emmer)

品種改良を重ねた大量生産小麦ではなく、原種に近い古代穀物。
石臼で挽き、胚芽もふすまも含め、丸ごと使う。

がしかし、効率は悪い。膨らみにくい。扱いも難しい。
だが、身体が受け入れる感覚があった。

私の軸
私は「儲かるパン」を作りたいのではない。
皆が楽しく、健康に、安心した暮らしの中にあるパンを作りたかった。

自立し、足るを知る暮らし。その循環の一部としてのパン。

だからこそ、
現代小麦ではなく、
古代小麦を選んだ。

パン屋になることは、偶然ではない。
それは、幹から伸びた一本の枝だった。
ただそれだけだ。

なぜ、現代の小麦は変わったのか?

産業革命以降、世界は「保存」と「流通」を前提に動き始めた。
その中で、胚芽を取り除くと、小麦粉の賞味期限が飛躍的に伸びることを製粉業者は発見する。

胚芽には脂質が含まれている。それが酸化し、粉は傷む。
だから、胚芽を除き、ふすまを除き、
白い部分だけを残す。
こうして、長期保存が可能な「白い小麦粉」が主流になったのである。

何を失ったのか?
保存はできるようになり、大量輸送も可能になった。
だが同時に、

・栄養の中心である胚芽

・食物繊維を含むふすま

・小麦本来の香り

それらも削ぎ落とされた。
効率は上がった。利益も上がった。
しかし、小麦は「商品」になり、「穀物」ではなくなった。

だから、丸ごと私は石臼で挽く。

胚芽も、ふすまも、丸ごと粉にする。当然、賞味期限は短い。
管理は難しい。
でも、それでいい。
保存のために削るのではなく、命のまま挽く。
それが、私が古代小麦を選ぶ理由のひとつなのである。

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