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木の幹⑥最終章

セルビアで飲んだコーヒー

セルビアはベオグラードで過ごした日々。
毎日通ったカフェ。
ステファナ通りの角にある、小さなカフェ、

『Caffe ili ili』

現在の私は、コーヒー中毒なほど、コーヒーが好きだ。
現在、トロワパンでは、コーヒーを提供している。
ベオグラードについた次の日、あのカフェに入っていなければ。
ここまでのコーヒー好きになっていなかったし、お店でコーヒーを提供することもなかったと思う。

ヨーロッパのコーヒー事情はというと、
基本はエスプレッソだ。
コーヒーと注文すると、シングルのエスプレッソとチェイサーを普通に運んできてくれる。

日本風のコーヒーは、向こうではアメリカーノと呼ばれる。
ヨーロッパのエスプレッとは、量が少なくエスプレッソのカップに入って提供される。
量ではなく、「濃度」と「余韻」。
このCaffe ili iliで飲んだ、ダブルのエスプレッソが、
私をコーヒー愛好家へと変えてくれた。
そして、コーヒーのおいしさの醍醐味は余韻だと教えてくれた、素晴らしい店なのだ。

コーヒーは、余韻の飲み物だと、私はセルビアで気づかされた。
コーヒーは私なりの考えがある。
一般的に、コーヒーは甘いものと一緒に飲むことが多い。

けれど、本当にコーヒーを味わうなら、甘いものは要らない。
甘さは、輪郭をぼかす。香りを鈍らせる。
余韻まで、曇らせてしまう。
コーヒーは、温かいうちに。そして、急がない。

口に含む。
ゆっくり飲み込む。
そして、何も足さずに、余韻を待つ。
もう一口。そして、また余韻。

食べ物は、喉を過ぎれば消えていく。
けれどコーヒーは違う。
飲み終えた後にこそ、その時間が始まる。
コーヒーとは、「後味」を楽しむための飲み物だと私は考えている。

帰国した私は、あのCaffe ili iliで飲んだエスプレッソが忘れられず、
いろんな店のエスプレッソを飲んだが、あまり、美味しいと言えるエスプレッソには出会えなかった。

その後、色々と試すうちに、今の店で提供している、
エスプレッソと日本のコーヒーの中間あたりの、
3気圧で出せるコーヒ機器を手にいれ、現在はそれで営業をしているのである。

今の所、隣市の神河町から、オーガニックのコロンビア。
東京からバイオダイナミック製法のインド。
あとは、福岡県うきは市のマンデリン専門店から、
深煎り焙煎した、マンデリン、シナールを仕入れている。


フランスでのパンのインターン、
その後の、クロアチア、セルビアを経たことによって、
今のトロワパンの原型が形成されたので、
本当に価値のあるヨーロッパの渡航だった。

さて、今年2026年7月17日から、もう一度、短期間だが。
南フランスのパン屋さんのインターンに参加する。
もうすでにパン屋のオーナーには許可を取り付けた。

宿と飛行機のチケットも押さえた。
あとは、さらにパンのことを深めに行く。

前回の初心者とは違い、
今回は日本での経験を積んだ上で参加するので、
また、見聞きする情報が違うはずだ。

さて、私には、近い将来の夢がある。
フランスの景色とは違うかもしれない。

だが、日本の山にも、日本の美しさがある。

山に入り、景色の良いところで、
自分の手を振るった建築で、薪窯をインストールし、
パンはもちろん、雑貨や、薪で焚いたお風呂、
その後は体を癒すマッサージ。

景色を見ながら、
心までほどけていく場所を作る。
いまの店には、車で一時間かけて来てくださる方が多い。
わざわざ来てくださる。
ならば、一日かけて過ごせる場所をつくりたい。
パンを買って帰るだけではなく、
その場で整い、満ちて帰っていただける場所。

もうイメージはできている。
これまでの私の人生は、思い描いたことは、すべて形にしてきた。
今回が、いちばん大きいだけだ。
だが、私は確信している。
きっと、思い描いたイメージ通りになる。

近い目標はこれだが、
さらに私には大きな目標がもう一つあるのである。
そのことについては、また、じっくりと話そうか・・・


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今回の木の幹の1話から6話の話はこれにて完結する。

今回は、木の幹に例えたが、
自分の思想が木の幹とするならば、
失敗も、迷いも、挑戦もそれは傷ではなく、それは年輪。
削られるのではなく、重なってゆく。
細かった頃の自分も、未熟だった自分も
全部、幹の内側にある。
見えないだけで、消えてはいない。

イメージできることはどんどんやれば良い。
やれると思ったら動けば良い。
その一歩がまた年輪を増やしてゆく。

あなたご存知だろうか?
人は、経験するために地球にやってきている。

楽しい時には思い切り楽しめば良いし、
辛い時には、辛さを味わえば良い。
悲しい時には、悲しみを抱けば良い。

光だけでは、幹は太らない。
風が吹くから、強くなる。

人は「正解」をしに来たのではなく、体験をしに来た。
そう思えた瞬間、失敗という言葉は消える

太くなった幹には、たくさんの枝葉がつく。
私が現在やっている、建築もパンも農業も、枝に過ぎない。
枝は広がるほど、空を掴める。
でも根と幹があるから倒れない。

私の場合、建築三十年の年輪が、パンの幹を支えている。

金槌を振る手も
石臼を削る手も
生地を触る手も、みな、同じ手。

目の前に見える世界は、観測者である自分しか形作れない。
自分の思い込みが全てである。
同じ景色でも、枯れ木と見るか
冬を越える準備と見るかでまったく違うのだ。

『足るを知る』
足りないものを探せば、世界は不足で満ちる。
今あるものを見るなら、世界はすでに豊かだ。

世界を変えるのは、出来事ではなく、観測者の目線の角度。

地球にいる間に、
傷つき、喜び、悲しみ、
十分に楽しみたい。
そうすればまた、木の幹は太くなる。


人の成長は、諦めるまで終わらない。

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